最近本格的に本を購入して漢詩創作を始めたので一首。

昔時日夜聚閑堂
共画丹青万巻長
縦使今宵山海别
相思尽在此鋒芒
昔時 日夜 閑堂に聚まり
共に画く 丹青 万巻の長きを
縦使(たとい) 今宵 山海に別れても
相思 尽く此の鋒鋩に有り
*丹青:絵
*鋒鋩:筆先
最近本格的に本を購入して漢詩創作を始めたので一首。

昔時日夜聚閑堂
共画丹青万巻長
縦使今宵山海别
相思尽在此鋒芒
昔時 日夜 閑堂に聚まり
共に画く 丹青 万巻の長きを
縦使(たとい) 今宵 山海に別れても
相思 尽く此の鋒鋩に有り
*丹青:絵
*鋒鋩:筆先
こちらの記事を受けて、中国語版製作に取り組みました
その成果物↓

にせいさんの気持ちが伝わるよう、中国に合わせてウルトラ最適化しました。
前半:素数で遊び、無限の数が作れること
後半:気軽に楽しく参加し、勝負に拘らないこと
簡易的な日本語ver。なにが書いてあるか知りたい方のため。

参考にしたのは公式サイトのルール:
素数大富豪という漢字を非推奨の理由:
最近漢詩を作ってみました。
韻律と平仄も入れて全部ちゃんとやったのは多分初挑戦!!
漢詩つくる人におすすめのサイト:https://sou-yun.cn/
秋風夕靄湖沙
別時楊柳飛花
把剣携書走馬
黄塵塞下
去来幾許年華
(大まかな訳)
秋風に立ち込める夕靄、湖のほとりの流砂
別れの場所で揺れていた柳、風に舞った花
剣を手にとり、書を携え、馬を走らせる
黄塵の吹き上がる辺塞の地を
行って帰るには幾ばくの年月となるか

清風碧水繞茶田
楊柳紅花旧宅前
商客遙知故郷事
行舟異国各依然
(大まかな訳)
茶畑に吹く清よらかな風、流れる碧緑の水
古びた住宅の前に立ちならぶ柳と赤い花々
商人は遠い故郷の出来事を知りながら
相変わらず異国でそれぞれの船を走らせる
*商人=フォンテーヌから沈玉の谷にやってきた商人たち(両国は往来が盛んな設定)
*故郷の出来事=フォンテーヌで起きた災難(魔神任務参照)

長夜冰深處
寒空飛雁稀
雷鳴轟地裂
墟塞更斜扉
(大まかな訳)
長い夜の氷の深いところ
寒空には飛ぶ雁も稀である
雷鳴がとどろき、地が割れる
廃墟となった要塞は崩される

*1:詞の長さや韻律を規定した一種の形式名
お久しぶりです。最近はありがたいことに仕事が多いです。今回は興味深い記事を見つけたので、久々の投稿です。
中国の「寝そべり」文化とは、頑張っても搾取されるだけの人生に無力感を感じ、「何も頑張らない」を選択した現代若者たちの考えを指します。
中国政府からしたら、もちろん労働力となる若者が頑張らないと経済成長できないので、このような風潮をなんとしても抑え込もうとしています。
「寝そべり」文化の発端となったあるネットユーザーの投稿は、すぐに削除されました。削除された後、公式新聞社から「寝そべりは恥ずべき文化」と批判する文章が発表されました。
以下、(海外サイトから漁った)削除済みの投稿と、新聞社による反論の文章を日本語訳して載せました。
もう2年ほど仕事はしていなくて遊んでいる、このままではいけないとは思っていない。
プレッシャーは、周りの人との比較から見える自分の立ち位置や年配の人から聞かされた伝統的な観念から生まれて、時や場所に関係なく我々の傍に現れる。
ニュースを開けば、有名人の恋愛や妊娠といったスキャンダルばかり。そういうものは「見えない生き物」のように、ある種の価値観を重くのしかけてくる。
人間は、そうである必要は全くない。
私はディオゲネスのように樽の中で太陽を浴びるだけの生活でも、ヘラクレイトスのように洞窟の中でロゴスについて考える暮らしをしてもいいはずだ。
この場所には、本当の意味で、人間の主体性を高く評価する風潮が無い。それならば、自分で自分にそれを用意しよう。
寝そべるという行為は、私にとっての賢者の活動。寝そべるときこそ、人間は「万物の尺度」となりえる。
ーーHN:優しい旅人
原文


最近、「寝そべることこそ正義である」と豪語している文章が話題となった。
(中略)奮闘することは、本来幸せである。奮闘する人生こそが、幸せな人生といえる。
確かに外部要因によるストレスは無視できないものの、それを嘆くくらいなら、立ち上がって追いかけるべきだ。大志を抱く若者たちは皆、ストレスに立ち向かい、奮闘によって自身の道を切り開いている。どの世代にも克服すべき困難や挑戦があり、全てが順風満帆な人生などない。小さな困難に打ちのめされ、「喪失感」にすぐ左右されるのは、現代の若者に相応しい態度ではないのは明らかだ。ストレスがある度につらいと叫び、挫折がある度に寝そべっていては、人生など変えられるはずがない!いかなる時であれ、いかなる社会であれ、奮闘することは青春において鮮やかに輝く礎であるのに間違いはない。ストレスの前で「寝そべり」を選ぶことは、正義に反するだけでなく、恥ずべきことである。このような「間違った自己啓発」に何の価値もない。大多数の若者は、冷静な思考を保ち、それらに一笑を付して前へ進み続け、夢を追いかけ続けるものと信じている。
原文

漢詩和訳10作目。
今回も新体詩スタイルですが、単語をほぼ原文そのままかつ同じ4行で作ったので、一周回って書き下し文のようになりました。でもリズム感がいい感じになったと思います。
杜牧の「山行」は詩吟の一作になっています!この前、知人に誘われ東大で初めて詩吟を聞いて来ましたが、漢詩&和歌好きとしてはすごく良い体験でした✨
遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅于二月花
遠く秋の山を登ると石の道が斜めに続き、雲が湧くあたりに人家が見える。
夕暮れに車を止めて楓を見ると、春の花よりも鮮やかな赤だ。
歩みて遠き秋山やつづら折りなる石畳
白雲生まれしそのかたに霞みて見ゆる人家あり
車駕(くるま)を止めて晩秋の深きに耽け入る吾が心
紅く染まりし山の葉は春の花にもまさるべし
漢詩の和訳9作目。今回は原文の単語を極力変えずに新体詩に落とし込みました。本来の漢詩の情景をかなり高く再現できました!
ちょうどいい書き下し文の画像があった。

月が沈み、烏が啼いている寒い夜だ。楓や漁火が目に映り、眠れずにいる。姑蘇(今でいう杭州)城外にあるという寒山寺から、夜半の鐘が鳴り、自分が乗っている船にまで響いてきた。
傾く月や
啼く霜寒き夜なれば
江上に散る楓の葉
あるいは浮かぶ漁火に
相対すれば
愁ひもありて眠れ得ぬ
遊子を載せて岸近き
小舟に夜半の鐘の鳴る
姑蘇の外れの寒山寺
冒頭にも書いた通り原文の単語を最大限尊重することで、新体詩+漢詩の堅牢さも備わった強めの作品に出来た気がします!最後の2行をもっと上手く処理したい…!
散りぬれば恋ふれどしるしなきものを今日こそ桜折らば折りてめ
ーー古今・春上64
「散ってしまったら、いくら恋しく思っても何の甲斐もない。折るなら、花盛りの今がちょうどよい時期、だから、今日こそ桜を折り取ろう。」
花开堪折直须折,莫待无花空折枝。
ーー杜秋娘《金缕衣》
「花は盛りのときに折り取るべきで、空っぽの枝になるまで待つべきではない。」この句は前文も鑑みると、少年は努力できるときに全力で頑張るべきであるという教訓を含んでいる。
桜は盛りのときに折るべき、同じことを言っている!!
散りぬれば
恋ふれどしるし(効果・甲斐)
なきものを[逆接の確定条件](確実に~けれども)
今日こそ[係-"今日"]桜
折らば折りて[未-完了]め[已-意思-係結]
